もしも2泊3日で北海道を旅行するとしたら。
札幌でラーメンを食べ、小樽でノスタルジックな運河を眺め、函館で赤レンガを見てラッキーピエロでご当地ハンバーガーを食し、富良野でラベンダーを見て帰る――こんなプランは現実的にオススメしないし、ほぼ不可能に近い。
まず札幌から函館へは鉄道の移動で約4時間。距離にして300km以上もある。これは東京から名古屋へ行くのとほぼ変わらない。2泊3日で東京、名古屋、仙台を旅行をするようなものだ。
それくらい北海道は広い。
そして広いからこそ、北海道の魅力は各地に存在する。
だからこそ、「阿寒国立公園」が「阿寒摩周国立公園」へと名称変更したのは、弟子屈の良さを知る人にとって喜ばずにはいられない。
道民ですら知らない!? 阿寒国立公園(旧称)は阿寒だけでなかった
冬の摩周湖。摩周湖第一展望台より撮影(写真:川湯観光ホテル)
昭和9年。いまから80年以上前に国立公園へと指定された、阿寒国立公園。道東中央部に位置し、火山によって生まれたカルデラ地形に3つの湖と森林、そしていまなお活動が続く活火山という景観を有する。そしてその3つの湖というのが「阿寒湖」「摩周湖」「屈斜路湖」だ。
国立公園内にある硫黄山。近くには ”薬の湯” として古くからアイヌ民族の方々も使用していた「川湯温泉」がある(写真:川湯観光ホテル)
今回2017年8月8日をもって、阿寒国立公園は「阿寒摩周国立公園」へと名称変更がなされた。実は阿寒国立公園の専有面積のうち、56%は摩周湖や屈斜路湖のある弟子屈町であるのだが、それまでの約80年間は摩周や屈斜路という “名前” が国立公園に含まれていないことから、「阿寒国立公園=阿寒(釧路市)のみ」という誤解が道民ですら一部生まれていた。
弟子屈には “摩周ブルー” と呼ばれる真っ青で神秘的な湖「摩周湖」があり、硫黄の噴煙が立ちこもる「硫黄山」があり、釘が溶けてしまうほど酸性の強い「川湯温泉」と、観光資源に満ちあふれている。
常に噴煙が空へと上がる硫黄山の様子
しかし「阿寒国立公園」を目当てに訪れる観光客が向かう先は、もちろん阿寒(釧路市)。同じ阿寒国立公園内にありながら、名称の影響による認知不足で、弟子屈町へ訪れる観光客はそう多くはなかった。
73万人から21万人へ。観光客の足はなぜ遠のいたのか
弟子屈町長・徳永哲雄氏
「全盛期は73万人もの観光客が宿泊していたが、現在は弟子屈の宿泊客は21万人へと減少している」そう語るのは、弟子屈町長の徳永哲雄氏。社員旅行が盛んであったバブル全盛期、町は貸切バスで溢れ、浴衣と下駄の人だらけであったという。
また弟子屈は1953年に公開された映画『君の名は』のロケ地であったこと、そして布施明さんの歌『霧の摩周湖』などの影響もあり、いわゆる “聖地巡礼” の場所としても注目を集めていた。
しかし時代の流れもあり、団体客は減少。宿泊客の多くは個人客へと推移するものの、個人客の呼び込みはそう簡単ではない。魅力的な観光資源を有する一方、弟子屈の認知拡大に課題があった。
摩周湖観光協会 会長・中嶋康雄氏
摩周湖観光協会の会長を務める川湯観光ホテル代表取締役の中嶋康雄氏は「名前は知っていても、場所を知らないという方も多い」と話す。
道内の方でさえ、「阿寒と摩周ってこんなに近いんですね」と言う方は多くいらっしゃいます。この弟子屈には人工的な美しさはありませんが、カルデラが作り出した壮大な景観があり、朝には雲海を、夜には満天の星空を眺めることができ、冬になればダイヤモンドダストを見ることができます。
そんな場所にある川湯温泉は泉質はもちろん、「静けさ」が価値であり、その静けさをいかに価値として発信していくかがこれからのテーマです(中嶋氏)
中嶋氏が描いた「森のなかにある温泉」の構想。温泉川のまわりをウッドデッキにし、歩いて楽しむ温泉街を目指す
本当は国立公園内の3つの湖の名前を入れて、阿寒摩周屈斜路国立公園という名称が理想でした。そのため国立公園に指定された80年近く前から弟子屈の人間は名称変更を祈願していましたから、今回「阿寒摩周国立公園」へと改称したことは、町民みな喜んでいます。
名称変更により、ひとりでも多くの方に摩周を知ってもらい、実際に訪れていただくキッカケになってほしいですね (徳永弟子屈町長)
寒暖差がある北海道では、美味しい食材が生まれやすい。弟子屈では酪農だけでなく、温泉熱を利用した農業も盛んだ。蕎麦にメロン、そして北海道でありながら南国フルーツであるマンゴーも栽培している。
そしてそれらの農作物を摩周そば、摩周メロン、摩周マンゴーと「摩周ブランド」として展開。中野区をはじめとする関東圏内のスーパーなどに摩周コーナーを設ける取り組みなども準備を進める。
「食」と「観光」――阿寒摩周国立公園へと名称変更により、摩周ブランドの認知拡大のキッカケが生まれた。
阿寒国立公園の父・永山在兼の存在
ここで阿寒国立公園の礎を築いた、「永山在兼」という人物に触れたい。弟子屈町観光商工課長である松岡友之氏は「永山在兼氏は、国立公園の設立に非常に重要な人物。彼がいなかったら、阿寒国立公園は誕生していなかったかもしれない」と語る。
弟子屈町観光商工課長・松岡友之氏
鹿児島出身である永山在兼氏は、1918年(大正7年)に釧路土木派出所長に就任。「阿寒、摩周、屈斜路を観光産業の地とする」という大志を掲げ、阿寒横断道路建設に尽力する。12年もの難工事を乗り越え、1930年(昭和5年)に横断道路は完成、1934年(昭和9年)に日本で第一号の国立公園として「阿寒国立公園」が誕生する。
阿寒国立公園制定80周年記念焼酎ラベル原画。中央の肖像画が永山在兼氏
12年という長期にわたる大工事、阿寒横断道路建設には莫大な費用を要した。さらに弟子屈から阿寒湖畔を結ぶ阿寒横断道路は約40km。
「なぜそんな場所へ道路を建設する必要があるのか」という上層部からの反対もあったに違いない。しかし永山在兼氏は上からの圧力にも屈することなく、阿寒横断道路建設の必要性を説き続ける。
永山在兼氏の尽力なくして、阿寒国立公園は誕生していなかった――そう思わざるを得ない景色が阿寒横断道路(現・国道241号)を走ると眺めることができる。阿寒湖そして弟子屈へ訪れる際は、ぜひ通ってほしい道路だ。
「いつまでも忘れられない初恋のような場所」訪れる人を惹きつける理由
壮大な自然の中で静けさを感じられる屈斜路(写真:川湯観光ホテル)
ここ数年、道外から弟子屈町へ移住する方が増えているそうだ。それは老後移住だけでなく、「ここでペンションをはじめたい」「カヌーをはじめたい」という30代、40代の若い方々も多いという。
もともと北海道はアイヌの方々の土地。日本人が入ってきたのは明治以降なわけですから、私たちも外から来た人たちなわけです。だからこそ、道外から移住される方々を迎え入れたいですし、彼らが何かに挑戦するのであれば応援したい。
みんなで外からの人をおもてなしをしよう、というのが私たちの考え方です (徳永弟子屈町長)
一度でも北海道へ行かれたことがある方は感じたことがあるかもしれない。北海道は絶景がたくさんあり、美味しい食が豊富にあり、そして「人の優しさ」がたくさんあるということを。
都会では感じることのできない「人の優しさ」が、北海道にはある。
毎年初夏になると硫黄山の麓には白ツツジが花を咲かす(写真:川湯観光ホテル)
白ツツジの花言葉は「初恋」です。いつまでも忘れられない、また会いたいと思える初恋の相手のように、この阿寒摩周国立公園には何度訪れても飽きない景色、四季折々の食、そして人の優しさがあります。
今回の国立公園名称変更に伴い、知る人ぞ知る存在であった「神の子池」も国立公園の一部に加わりましたが、阿寒摩周国立公園には多くの方に知られていない魅力がたくさん。1泊2日の旅行でも楽しんでいただけますが、長期滞在していただき、時間をかけてゆっくりと観光するのも、阿寒摩周国立公園の楽しみ方です(中嶋氏)
名称変更に伴い、国立公園の一部となった神の子池(写真:川湯観光ホテル)
仮に摩周湖を壊してしまったら、何兆円かけて同じものをつくろうとしても、つくれません。国立公園に指定されるだけの大自然がここにはあり、そして生態系を壊さずに活用することが大切です(松岡氏)
阿寒摩周国立公園内にはエゾジカが多く生息する(写真:川湯観光ホテル)
ここまで大自然に囲まれた環境でありながら、人間が居住し生活を送っている場所は、北海道の中でもそう多くない。
見渡す限りの山と木々。
見渡す限りの広い空。
ふと現れる野生の動物たち。
そして、地元の方々の優しい笑顔。
阿寒摩周国立公園への旅行は「見る旅行」ではなく、「感じる旅行」という表現がしっくりくる。
心身ともにコンディションを整える旅へ
欣喜湯(株式会社 川湯ホテルプラザ)代表取締役 榎本 竜太郎氏
川湯温泉はどこも自家源泉かけ流しで、地中にある状態に近い形で入れるのが川湯温泉の特徴です。ゆえに川湯温泉はpH0.8〜2.4という非常に酸性が強く、シルバーの指輪などは一瞬で酸化し黒くなってしまいます。そのため川湯温泉の旅館はメンテナンスが大変で、テレビや冷蔵庫といった家電は数年で入れ替えが必要なほど。
そんな強酸性の川湯温泉は、昔からアイヌの方々が “薬” として用いており、現在も地元の方には「川湯温泉に入らないと体のメンテナンスが完了しない」と思っている方もいらっしゃいます (榎本氏)
欣喜湯に設置されている飲泉
pH1〜2というのは、胃酸と匹敵する強酸性。欣喜湯には飲泉も用意されているのだが、ひと口飲むと、想像を絶する酸っぱさが口の中に広がる。温泉自体も数分浸かっていると、皮膚が弱い方や切り傷がある場合はヒリヒリ感じるレベル。病みつきになるような刺激的な温泉である。
屈斜路湖(写真:川湯観光ホテル)
阿寒摩周国立公園には今回ご紹介したように、火山によって形成されたカルデラ地形の壮大な大自然、美味しい食に温泉、そして人の優しさがある。
なかなか長期滞在の観光は難しい方も多いかもしれないが、タイミングがあればぜひ、ゆっくりと阿寒摩周国立公園を見て回ってみてはいかがだろうか。心も体も癒やされる、コンディションを整える旅になるだろう。
そして今回、阿寒国立公園から「阿寒摩周国立公園」へと名称変更により、阿寒に加えて摩周、屈斜路の魅力を多くの方々に知ってもらえる機会が増えるのは嬉しい限り。
北海道は広い。まだ見ぬ世界を開拓しよう。