北海道に住んでいる人もいれば、一度も行ったことのない人もいる。たくさんの人がそれぞれのイメージを描くのが北海道という土地ですが、北海道を出て今は別の場所で暮らしている人は、どのように故郷を想うのでしょうか。今回のYorimichi AIRDOは、いつもと少し違ったテイストで北海道・函館の魅力をお届けします。書き手は函館出身ライター・木村衣里(きむら・いり)さん。懐かしさと優しさがあふれたエッセイをお楽しみください!
「函館のことを書いてください」。
そう言われて頭に浮かんだのは、22歳から24歳までの2年間の記憶だった。
短大への進学を機に、一度拠点を札幌へ移したわたしは、東京へ行くことを決意。22歳になって戻ってきたのは、実家でお金を貯めようと思ったからだった。
4年ぶりに戻ってきた函館は、10代のころとはまるでちがう街のように思えた。
市電の終着駅、「谷地頭(やちがしら)」から歩いて5分ほどにある「谷地頭温泉」。全国的には湯の川温泉のほうが有名だけれど、小さいころから通っていた“ヤチの温泉“(わたしの家ではみんなこう呼んでいた)のほうが、よっぽど身近な温泉だった。
茶色いお湯は、とにかく熱い。水で埋めようとすると、知らないおばあちゃんに怒られる。仕方なくお湯に浸かると、できるかぎりの早口で100を数えては「露天風呂に行こう」と、母や祖母を急かした。そんな幼少期の記憶。
子どものころは苦手だった熱いお湯も、22歳のわたしには心地よかった。苦しくて入っていられなかったサウナや、水風呂にだって入れるようになった。「年寄りの好む温泉」だったはずが、いつの間にか自分にとって快適なものになっていた。
函館駅近くにある「まる金」の焼きそばは、父の大好物だった。子どものころ、母に内緒で「まる金」の焼きそばをおやつにしていた父を知っている。「ここの焼きそばは、ノド詰まりするんだよな」と言いながら、うれしそうにかき込んでいた。
1954(昭和29)年創業という店構えは、昭和の時代を知らないわたしでも「これが昭和か」と思うくらいに趣がある。隣接する競輪の場外車券売り場のリニューアルに伴い、外観こそ新しくなってはいるが、日焼けした壁紙やテーブルのシミは月日の経過を感じさせる。
昔ながらのシンプルな焼きそばは、麺はボソボソしていて味は薄く、ソースを後がけしたり薬味を足したりすることで、自分好みの味に調整する。正直子どものころは、食べ慣れないその味のよさがわからなかった。もちもちの麺で、甘辛いソース味の焼きそばがおいしいに決まってる、と思っていた。
約10年ぶりに父と「まる金」を訪れると、あの日と同じように「ノド詰まりするんだよな」と、うれしそうに言う。わたしは「でも、おいしいんだよね」と、ポットからお茶を注いで父に渡した。
函館山の麓にひろがる西部地区は、函館港開港からの歴史を感じさせる建物がたくさんある。自分たちの親世代が若いころに通っていたようなお店がそのまま残っていることも珍しくない。
1976(昭和51)年創業の「カリフォルニアベイビー(通称『カリベビ』)」も、そのひとつ。金森倉庫近くにある「カリベビ」は、車を持っていない10代のころは遠くて仕方がなかったのに、ずいぶんと気軽に行ける場所になった。
名物のシスコライスは、ピラフのうえにミートソースと大きなソーセージが二本。男の子の「好き」を詰め込んだようなメニューだ。
当時付き合っていた彼とカリベビに行くと、付け合わせのブロッコリー二つがわたしの皿に除けられ、代わりにソーセージを半分彼の皿に乗せた。野菜嫌いな彼とのデートでは、このような不等価交換がお約束だった。
地元にいる友人たちは、結婚して、子どももいる人が多かった。
彼から友人を紹介されても、みんな夫婦や子連れで遊びに来ていて、その輪の端っこに、子どももいなければ、結婚すらしていないわたしたちがいた。
会話の中身はほとんどが「家庭」にまつわるものだった。
定期健診で周りの子と発育状態を比べて落ち込んでしまうこと、保育園の審査を待っていること、職場復帰が不安なこと、義父母が毎日のように孫の顔を見にくること、酔っ払って帰って来た旦那が必ずカップラーメンを食べてしまうこと。それらすべてが、わたしたちはまだ経験したことのないものだった。
そして、それらの話題が一通り終わると、いつも話は「いりちゃんたちは結婚しないの?」というところに行きついた。
彼女たちと話していると、「結婚」というものがとても身近なものに思えた。
「平和な日々」も「家庭がある幸せ」も、すぐそこにあった。
函館という街は、時間の流れがゆっくりだ。歴史の名残がそう感じさせるのかもしれない。それが居心地のよさを生む。
その一方、居心地のよすぎる環境は、当時のわたしにはもどかしかった。自分が停滞しているような感覚が、いつからか付きまとうようになった。
阿寒湖のマリモが丸いのは、水の流れがあるおかげらしい。風や水流によって転がされたマリモは、丸く成長する。流れのない場所で育つマリモは、丸くならずに崩れるのだという。
自分がマリモのようだとは思わない。でも、動きのある環境に身を置かないと、何かが崩れていってしまう予感がした。
「このまま狭い世界しか知らずに死んでいくなんて、嫌だ」
いつしか停滞する感覚は、焦りに変わっていった。
18歳で一度函館を離れたときも、危機感のような、焦りのような、窮屈さを感じた。でも、あのときとはまた違う感覚があった。
上京して、もうすぐ丸3年になる。
昔から、「お上り」という言葉が嫌いだった。
なぜ地方が「下」で東京が「上」なのか、なぜ「上京」なのか。
当時は不満だったし、疑問に思っていたけれど、上京したことで、今はその感覚がなんとなくわかるようになった。
わたしにとっての東京は、川の上流にあるもので、函館は、下流にあるものなのだ。
函館は、帰る場所。なにかあっても穏やかな流れに身を任せれば、軽装備でも最終的には帰れる場所。
東京は、生きる場所。上流の流れはとても速く、大量の情報が流れてくる。押し流されないよう、溺れないよう、準備をしっかりして、動き続ける必要がある場所。
あのときのわたしは、紛れもなく「お上りさん」だったし、あの大荷物は、覚悟が形を変えたものだったんだろう。
いまは地元の友人たちと定期的に連絡を取らずとも、SNSがいろんな情報を運んできてくれる。
東京の友人たちがプロジェクトの成功やイベントの告知を投稿する間に、地元の友人たちが結婚したり出産したり、家を建てたという報告が並ぶ。速すぎる流れのなかで、それらはすこしだけ違和感を残して、通り過ぎていく。
結婚式の招待状、はやく返信しなくちゃな。
またひとつ、大事なことを思い出して、わたしは遥か下流の故郷に想いを馳せる。
文:きむら いり 編集:カツセマサヒコ
書いた人:きむら いり
北海道函館市出身。プレスラボ所属の編集/ライター。企画したり取材したり執筆したり編集したり。動物が好きで、この世で一番愛らしいのはカバだと思っています。
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